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学芸員のひとりごと

「三浦義武缶コーヒー誕生物語」について

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私は日本各地の埋もれている歴史素材の価値を明らかにし、その魅力を広く伝える仕事を長年続けてきた。平成12(2000)年4月、日本画家石本(いしもと)正(しょう)(1920‐2016)の作品を収蔵・展示する石(せき)正(しょう)美術館開設のために島根県西部の石見地方に移り住んだが、それ以来この地の歴史素材の発掘と調査に明け暮れている。
特に心惹かれたのが、今も千数百枚の棚田が残る浜田市三隅町の室谷(むろだに)棚田だった。棚田の成立事情を調べていた時、集落の方に「あの石垣の残っているのが、世界で初めて缶コーヒーをつくった人の生家跡です」と教えられた。それで三浦義武(1899-1980)を知った。
その後、福岡の森光宗男氏が浜田での取材を元に書いた義武についてのご労作を読んで感動した。ただ短い日程での取材だったせいか、そこにはいくつもの誤謬が見られた。そのお蔭で私の研究意欲に火が付いた。義武の仕事を正しく伝えるのがこの地に住む歴史地理学研究者としての使命だと勝手に思い込み、史・資料を集め、知己の人々を訪ね歩くようになった。
 ある時、『日本経済新聞』平成9(1997)年12月28日の紙面に「その記事ちょっと待て」という記事が載っているのを見つけた。「昭和44年に世界で初めて缶コーヒーが販売された」と報じた9月7日の同紙の記事を読んだ作家の三浦浩が、「4年前に父親が島根県浜田市で製品化していた」と連絡したことから、担当記者が真偽を検証して記事を訂正したものだった。そんなこともあって、「義武さんの波乱万丈の人生を小説にしてはどうか」と友人たちは浩に執筆を勧めたが、彼は頑として書かなかったという。その後、浩が平成10年3月24日に67歳で亡くなると、地元でも義武の仕事は忘れられていった。

義武は、若い頃に独自のネルドリップ技術を駆使してカフェ・ラールという濃厚コーヒーを編み出した。そして、昭和10(1935)年12月から2年間、東京日本橋の白木屋デパートで週末に開かれた「三浦義武のコーヒーを楽しむ会」でそれを提供し、多くの人々を魅了した。
戦時中に帰郷して一時政治に関わるが、コーヒーへの思いが募り、昭和26年に浜田市紺屋町に喫茶ヨシタケを開店。戦前と同じような濃厚なコーヒーを提供し、味に自信を持つと缶詰にしてヨーロッパに輸出しようと考えた。当時、複数のメーカーが缶コーヒーづくりを試みていたが、メッキ技術が未熟なため、缶に穴が開いて失敗していた。義武は、大阪の製缶工場に依頼して腐食しにくい缶を開発して貰って遂に缶コーヒーの製品化に成功した。
父親が缶コーヒーづくりに勤しんでいた頃、三浦浩は産経新聞の記者をしていた。直属の上司は司馬遼太郎だった。浩の結婚式で島根を訪れた司馬は義武と知り合う。そして、一途な義武を気に入り、ついには缶コーヒー販売に協力するようになった。そんな訳で、昭和40年9月14日、缶コーヒーを日本橋の三越デパートで販売した時のあいさつ状に、「われわれは、絵画において富岡鉄斎、陶芸において柿右衛門を誇るがごとく、コーヒーにおいてかれを世界に誇っていいであろう」という司馬の推薦文が載った。
200グラム入り80円の缶コーヒーは「ミラ・コーヒー」と命名され、翌年3月からは関西の百貨店や駅の売店で本格的に販売された。テレビやラジオでCMも流れ、飛ぶように売れた。しかし、販売先からの入金が滞ったり、代金を踏み倒される事例が増えていった。資金繰り悪化とブラジル産生豆の高騰のため、昭和43年に製造を中止した。

平成17年9月、広島修道大学の中根光敏氏が訪ねてきた。喫茶ヨシタケを知る人々との会話を通して、中根氏は「石見の小さな町にコーヒーの味の判る人がこんなにいることに驚きました」と話していたのが忘れられない。
この頃から、義武が淹れた濃厚コーヒーを飲みたいと思い始めた。そして、誰もやっていないのならば自分が淹れようと考えた。それは無謀な挑戦だった。義武が残した資料には、豆の配合・焙煎の度合いなどが載っていたが、肝心の抽出方法はどこにも書かれていなかった。手がかりを求めて方々訪ね歩いたが成果は得られない。困り果てていた平成22年7月、義武を助けていた三浦晴江氏が訪ねて来て、コーヒーの淹れ方を教えてくれた。それは常温の水を入れながら粉をかき回し、最後にお湯を加えるという驚くやり方だった。
翌年10月、「広島でコーヒーを楽しむ会」が開かれ、中根氏の仲介で廣瀬幸雄氏と星田宏司氏に出会えた。お二人に後押しされて、『コーヒー文化研究』19号に「三浦義武-コーヒーに人生を捧げた石見人-」という拙文を寄稿させていただいた。
平成24年9月に試作品が出来上がり、改良を重ねて翌年10月の室谷棚田まつりで披露した。さらに店に通っていたという方々に味見して貰い、約1年かけて「店で提供していた味に近づいた」と言われるようになった。
平成26年11月、廣瀬氏にご助力頂いて浜田市内で「コーヒー学入門」を開催し、約150名にコーヒーを提供した。その際、福島達男氏や繁田武之氏ら日本コーヒー文化学会の会員も駆けつけて、豆の挽き方やネルの素材や縫製方法について懇切に指導下さった。さらにランブルの関口一郎氏や福岡の森光氏にもご教示いただいた。焙煎や抽出についてプロの元で研鑽を積んだ経験のない私を導いてくれたコーヒー文化学会会員の皆様に心よりお礼申しあげたい。
翌年7月、浜田の久保田章市市長の肝いりで、三浦義武の精神と技術を正しく伝えるべくヨシタケコーヒー認証制度が始まった。目指すは「コーヒーの薫る町づくり」。そのための講習会が開かれ、試験に合格したメンバーがさらに研鑽を積んだ。彼らは9月に島根県立大学浜田キャンパスで開かれた「浜田でコーヒーを楽しむ会」で各地から集まった約170名に濃厚なコーヒーを振る舞った。このメンバーは、その後も中根氏や福島氏の力をお借りしながら、より洗練された質の高いコーヒーを提供するべく奮励している。

平成28年秋、地元新聞社が義武の仕事を正しく伝えるべく出版を検討したが不調に終わった。折角の機運を消したくないという思いが募って中根氏に相談したところ、京都の松籟社を紹介して下さった。それで本書が生まれた。ただただ感謝しかない。拙著が浜田市の推進する「コーヒーの薫る町づくり」に少しでも役立てば幸いである。また、地方のコーヒー文化の研究が一層進んで欲しいと願っている。

「三浦義武缶コーヒー誕生物語」、松籟社、2017年10月発行、1500円(税別)
by zingakugei | 2018-04-16 20:04 | 三浦義武と缶コーヒー
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